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1972年に上京。フリージャズの分野等で数々のミュージシャンとのセッションやライブ、レコーディングに参加する。 ◆1978年「目からジャズが落ちた」のを機にニューヨークに渡り、多国籍のミュージシャンたちとセッション。同時にプライベートレコードレーベルBELLOWS(ベローズ)も立ち上げて作品をリリースする。この頃から現在も親好の深いBILL LASWELL(ビル・ラズウェル)や、JOHN ZOHN(ジョン・ゾーン)などの多くの個性的な一流ミュージシャンたちと知り合い、世界各地でのライブ演奏に参加。日本人ミュージシャンとしてはいちはやくワールドワイドな活動を展開し始める。 ◆1983年には1年間で実に日本を含め、世界で121回のライブに参加する。帰国後の1984年には近藤のキャリアで大きなターニングポイントとなったアルバム「大変」を発表。自ら考案したエレクトリックトランペットを携え、IMA(INTERNATIONAL MUSIC ACTIVITIES)を結成し(近藤等則 Toshinori Kondo、ЯECK (Friction) 、酒井泰三 Taizo Sakai 、富樫春生 Haruo Togashi 、山木秀夫 Hideo Yamaki )数々のアルバムを発表。 今でこそ一般的になったスクラッチや、HIPHOPなどの手法をいちはやく導入したオリジナリティあふれるパワフルなサウンドは特に海外で注目を集める。招聘も多く、93年の解散までIMAバンドは[東京発世界]のコンセプトのもと、9年間に渡リ世界各地でライブを展開する(86年より毎年ヨーロッパツアーを開始。88年にはオーストラリア・香港と環太平洋ツアーも敢行)。
この他、94年ユネスコ主催の奈良東大寺での世界遺産ミュージックフェスティバル“あをによし”で演奏、95年には阪神大震災で亡くなられた人達へ向け神戸朝日ホールにてレクイエムライブ(アルバム「神戸」としてリリース、売り上げの一部を被災者に寄付)など。 またヨーロッパを中心にライブ活動も多く、その卓越した演奏、他の追随をゆるさない、MILES DAVIS(マイルス・デイビス)をも彷彿とさせる、炎のように激しい圧倒的なエネルギッシュさと、繊細さを同時に併せ持った独特のスタイルの魂に迫るような深淵なサウンドは特に欧米で根強いファンが多い。 一方で若手ミュージシャンやDJ、世界各地の民俗音楽とのコラボレーションなども積極的に行い、2001年6月にはチベットハウスからの依頼を受けダライラマ14世が提唱する「世界聖なる音楽祭」をプロデュース。開催の3日間には、広島の厳島神社を舞台に、世界各地からミュージシャンが一同に集まり見事な共演を果たす。 2002年10月には新バンド「FREE ELECTRO」を結成するなど、再び国内でもライブ活動などを展開中。今なお独自の新しい音を追求している。 |
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